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人生は暗闇

だと思うんですよ。
ネガティブな意味じゃあなく。

以下つまらないことなので読まなくてもいいです。自分用メモみたいなものです。。。
人が生まれたときって、まさしく暗闇。何をすべきか、どうすすんでいいか自分の目では全く見えない。
でも、段々、人生という暗闇に目が慣れてくると見えるモノ、気づくものが増えてくると思います。

いつ「気づく」か。いつ決断するか、様々な場面で問題になります。
何に気づくかは様々ですが、自分の能力であったり、社会のしくみであったり、他人のことであったり。

早く「気づけば」比較的道を間違えずに済むようにも思えます。自分の能力の限界に早く気づいたり、自分のやりたいことが社会のしくみ上では実現不可能であることに気づいたり、悪いことも必ずしも悪くはないのでしょうか。

ここで、例えば、暗闇のなかで自分のいる部屋が実はすごく小さいことに気づいたとします。
でも、暗闇で何も気づけない状態では、自分のいるのは、大きな部屋か小さな部屋か分かりません。
これは、大きな部屋と小さな部屋が重なり合って両方とも存在してると観念できるのではないでしょうか。

そうであるならば、部屋の大きさが決定されたのは自分が気づいた時点だといえます。
つまり、部屋の大きさを決めたのは自分の意思。
自分の意思次第で部屋のサイズ、つまり自分の能力のサイズを決定されることになります。

ということは、「気づく」、という意味は必ずしも、もともとあることを認識する作用とは定義付けられないのではないとも思えます。でも、一度気づいてしまった以上は、さかのぼってもともとあることを認識したといえます。

だから、認識によって限界を固定することも「気づく」という言葉に包含されるといえるでしょう。。。

人は暗闇だから必死にもがける。戦える。
もし目の前が完全に開けていて袋小路であることに気づいてしまったなら、今までのように戦うことは出来ない。

でも、その事実から目を閉じて逃げ出してしまえば?
目を閉じた瞬間に再び暗闇が生まれます。そのまま目を開けても、状況は変わっていないと考えるのが普通です。
しかし、目を閉じたと同時に袋小路が解消されているかもしれません。それは目を再び開けるまで認識不能。

つまり、ここでも重なり合っています。
人生は暗闇を作り出せればいつでもやりなおせるということでしょうか。

暗闇において気づくのは結局は自分だけ、照らしてくれても、手を引いてくれても、自分がそれを信じさえしなければそうはならない。でも手助けにはなる。他人をどう気づかせるか。どうやって気づいてもらうか。大事です。

もっと早く気づいていればよかった。あるある。。
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